都市伝説!ゲド戦記のシナリオは捻じ曲げられていた!?
宮崎駿監督の息子、宮崎吾郎さんが初めてメガホンを取った作品として知られるスタジオジブリの『ゲド戦記』。
一部では酷評される好き嫌いのあるこの作品ですが、あの宮崎駿監督が生み出したジブリの名作の数々と比べられればそれも仕方ありません。
宮崎吾郎監督もそれを覚悟で指揮を執ったはずです。
さて、原作との相違点も多いこの『ゲド戦記』、作品内で語られない設定や都市伝説も数多く存在します。
今回はそんな『ゲド戦記』にまつわる都市伝説をご紹介したいと思います。
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ゲド戦記はまったく違うタイトルで公開される予定だった!?
原作が存在する映画に対し、よく世間で言われるのが、「原作のほうがよかったなあ」という感想です。
それはこの『ゲド戦記』にも当てはまります。
そもそもこの作品は当初予定されていた設定やストーリーとはかけ離れたものになっているといわれます。
この『ゲド戦記』の映画化に関して、かねてより宮崎駿監督が原作者であるアメリカの作家アーシュラ・K・ル=グウィン氏にオファーを出していたようです。
しかし自身の作品を映像化することの難しさと、当時アニメはディズニーのようなものというイメージを持っていた原作者は、オファーを断り続けていました。
それでも『ゲド戦記』への想いを捨て切れなかった宮崎駿監督は、『風の谷のナウシカ』の中に『ゲド戦記』の要素を取り入れていたといわれます。
その後『となりのトトロ』などの名作を生み出したスタジオジブリを信頼し、宮崎駿監督ならということで原作者からついに『ゲド戦記』使用の許可が下りたようです。
しかし宮崎駿さんに代わって監督を務めた吾郎さんは、自身が想い描くイメージを優先して原作から設定やストーリーを大きく変えていってしまいます。
タイトルも当初は『ゲド戦記』ではなく『遠い旅の終わりに』というタイトルにするはずだったといわれます。
この事態を耳にした原作者は、監督が変更されたばかりかストーリーも変わり、挙句の果てにはタイトルまでまったくの別物にされるという屈辱に憤慨し、その意向によって現在の『ゲド戦記』というタイトルに落ち着いたそうです。
「もし『遠い旅の終わりに』というタイトルのまま公開されれば、ここまで低評価な映画にはならなかった」とスタッフからの声も上がったようですが、後の祭りです。
原作に忠実でもオリジナルでもないどっちつかずの状態になったことにより、観る人に混乱を与える作品となったことが、『ゲド戦記』が酷評された一つの要因かもしれません。
原作との相違点、父「宮崎駿」と比べられた宮崎吾郎の力量などが、この作品の評価に影響を与えたことは否めません。
なぜ殺した?父親殺しのアレンの謎
映画『ゲド戦記』の序盤で、主人公のアレンが父親の国王を殺害するシーンがあります。
この父親の殺害のシーンに関して、違和感を覚えた人も少なくないようです。
わざわざ作中で父親を殺す必要性があったのか、と。
そもそもこのアレンが父親を殺す場面は、原作には存在しない展開です。
ではなぜ宮崎吾郎監督はこのようなシーンを採用したのでしょうか?
その答えとなる事実が、巷でまことしやかに囁かれている都市伝説です。
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周知の通り、『ゲド戦記』は宮崎駿監督に代わり、宮崎吾郎さんが初めて監督を務めたジブリ作品です。
内外問わず、吾郎さんは「宮崎駿の息子」というレッテルと戦い続けていたでしょう。
宮崎駿さんはそれほどまでに多大な功績を残した偉大な人物だからです。
そして物語の父親殺しの話に戻るのですが、これはもしかすると吾郎さんの内面的な欲求が具現化された、つまり「父親を越えたい」という想いの表れなのではないかといわれています。
主人公に父親を殺させることで、自身も父親である宮崎駿を乗り越えていきたいという想い。
「父さえいなければ、生きられると思った。」という作品のキャッチコピーとも相まって、この都市伝説が囁かれるようになりました。
ただ実際には、この父親殺しのシーンの発案者はプロデューサーの鈴木さんで、吾郎さんは自分と父親のことをなぞらえたわけではないと否定しています。
でもそうやって自分で否定すること自体、ある程度意識しているようにも思えますよね。
父親を意識している時点で、自分で自分にレッテルを貼ってしまっているわけです。
そもそも、べつに殺すという物騒なことをしなくたってお父さんを乗り越えていくことはできるでしょう。
親子の確執は炎上商法!?
先に父親と息子の苦い関係性のようなものが存在する都市伝説をお伝えしました。
次は、この宮崎親子の確執自体が作り物、つまり作品の注目を煽るための炎上商法なのではないかというものです。
先ほどのような都市伝説が作り出されること自体がそもそも計算の上だった、という話ですね。
実際に映画公開前から宮崎親子の確執が広く話題にされていたことは確かです。
本当のところはどうなのかというと、宮崎駿さんも息子の実力は認めているが、捻くれた性格ゆえついつい批判的な意見を口に出してしまう、というのが正直なところではないでしょうか。
『ゲド戦記』制作中も、息子に対して「勝手にやれ」というより、もう心配で心配でしょうがなかったような感じですね。
吾郎さんが監督することを原作者に了承してもらうよう頼む際も、駿さん自ら原作者のもとに足を運んだみたいです。
前々から行かないと言っていた息子の作品の試写会にも結局姿を現したぐらいですからね。
炎上商法というよりは、どこにでもありそうな父親と息子のありふれた風景がたまたま切り取られたものという感じでしょうか。
以上、『ゲド戦記』に関する都市伝説をご紹介しました。
ジブリ作品の中では低く評価される作品ですが、先入観を取っ払って観察することで今まで見えなかった『ゲド戦記』の新たな魅力が見えてくるかもしれませんね。
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